寺では聞けなかった人生の解答
岐阜県 岡部 健二(仮名)
子供のころ、近所の本願寺末寺では、夏休みに2、3週間続けて、法話会が開かれていました。言葉に威厳があり、尊敬していた父の影響で、私も5歳から中2の夏まで聞きましたが、
「念仏さえ称えていれば、死んだら極楽なんて、おかしい」
と感じ、行かなくなりました。
学問や芸術、仕事も、自分がやらずとも、だれかがやって、世の中は回っていく。自分がいなくても変わらない。次第に、人生は無駄で無益だ≠ニ思うようになっていきました。
高校受験を控えたある日、父に、疑問をぶつけました。
「何のために勉強して、生きなきゃならないの」
父は一言、
「おれも知らない。分かったら教えてくれよ」
と答えたのです。ショックでした。
数日後、薄日のさす夕暮れの自室で、たまに使っていた頭痛薬を目にした時、
「これをのみ干せば死ねる」
と思い、衝動的に手に取りました。そして、40錠ほど残っていた薬を、10回ほどですべてのみ干したのです。次第に手足の感覚がなくなり、意識も朦朧としていきました。翌朝、目覚めた時には、畳をかきむしったあとがあり、右手の生爪がはがれ、胃の中のものを吐いていましたが、
「助かってしまったのか」
と、冷めた思いがよぎるだけでした。
社会人となっても、投げやりな気持ちで毎日を過ごしていた私は、親鸞会の友人から親鸞聖人≠ニ聞いても、寺でのイメージが強く、いい加減な聞き方をしていました。しかし、彼の話す内容は、すべて因果の道理に則していて納得でき、いつしか聞かずにおれなくなったのです。
今では、死ななくてよかったとハッキリ分かります。
父は、高3の時、病死しました。
「人生の解答は、親鸞聖人の教えにあったよ、お父さん」
と伝えられなかったことだけが、無念でなりません。
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