「葬式が月に2度あれば」
「人生が2度あれば」
そう歌ったのは、井上陽水でしたが、
「葬式が月に2度あれば」
そんなことを言う坊さんがあったとは。
岐阜県といえば、古くから浄土真宗のさかんな土地柄。
岐阜県に住む、高橋良枝さん(仮名)の家の近くにも、本願寺の
末寺があります。
そこの住職が、先日の会合で、こうこぼしていました。
「うちの寺は、門徒が506軒あるけど、1ヶ月に2人は死んでくれんと
寺が食べていけん」
1ヶ月に葬式が2度あれば、食べていけるのだが、とは、なんというこ
とでしょう!
門徒が死ぬのを待っている、とでもいうのでしょうか。
高橋さんの頭に、親鸞聖人のお言葉がよぎりました。
「親鸞、閉眼せば、賀茂川に入れて魚に与うべし、と云々。
これすなわちこの肉身を軽んじて、仏法の信心を本とすべきよしを表わ
しましますゆえなり。
これをもって思うに、いよいよ葬喪を一大事とすべきにあらず。
最も停止すべし」(改邪鈔)
葬式・法事など、肉体の後始末に力を入れるよりも、信心決定こそ、急
がねばなりませんよ。
「あわれあわれ、存命のうちに、 みなみな信心決定あれかしと朝夕思いは
んべり」(御文章)
一日も片時も急いで、信心決定をとおっしゃった、蓮如上人のお言葉も
思い出されます。
それにくらべて、月に2度、葬式がないと、生活していけん、とは。
そんな中、親鸞会に出会って、本当の親鸞聖人の教えを聞ける身になっ
たことを、高橋さんは、とても喜んでおられます。
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