「法話が聞きたい でも聞けない」
「報恩講に、講師を呼んでください、お話が聞きたいんです」
と頼んでも、住職は、無視。しまいには、
「親鸞?どこが立派なんや。祭り上げられてるだけや」
信じがたい住職の言葉に、唖然としたのでした。
兵庫県尼崎市の平山さん(仮名)さんは、広島生まれの熱心な安芸門徒で、
朝晩のおつとめをしなければ食事もさせてもらえず、食卓の話題もいつも仏法、という家庭で育ちました。
引っ越してきた尼崎で、有名な大寺院の門徒になったのですが、このお寺、催しものには熱心なのに、少しもご法話がありません。
たまりかねて、10年ほど前、親睦旅行のおり、住職にお願いしま
した。
「住職さん、今度の報恩講では、講師を呼んでくださらんか。お話が聞きたいんです」
すると、
「そんなモン、呼んでも呼ばんでも一緒やがな」。
あきれて、
「私は自分を、浄土真宗の家に生まれた幸せ者だと思っとる。
親鸞聖人が、『一人居て喜ばは二人と思うべし』とおっしゃってくださっているのを喜んどります」。
「あんたな、そんなこと言う者は今どきおらんで。
大体、親鸞のどこが立派や。祭り上げられているだけや」
住職の信じ難い言葉に、平山さんは唖然としたのでした。
楽しいはずの旅行が、ムカムカした思いで終始し、帰宅してすぐ悲憤の思いをしたためた絶縁状を手渡したのでした。
大手金属メーカーに勤続中だった五年前、用事で立ち寄った尼崎労働福祉会館で、掲示板に親鸞聖人のお名前を見かけました。足が
会場へ自然に向いたのが、親鸞会とのご縁だったのです。
「こんなに懇切丁寧に、仏法を聞かせていただいたことはありません。『正信偈』の説明は、どこへ行っても聞けませんよ。
寺の者は布教せず、苦労もしていないので、とても聞いていられない話ばかり。定例法話の張り紙はあっても、閑散としているじゃないですか」
今は、親鸞学徒となって、富山でのご法話にも参詣されるようになりました。
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