朝日新聞・本願寺門主、五木寛之の対談
元日の『朝日新聞』を開いて驚きました。1ページを大きく使い、本願寺派(西本願寺)門主・大谷光真氏と作家・五木寛之氏の新春対談が載っています。不確かな時代の「こころの座標軸」として、仏教を語り合おうという趣旨のようですが、「この二人で大丈夫?」との心配は、不幸にして的中しました。
親鸞聖人のみ教えを一言で表せば「平生業成」。すなわち、「平生に人生の目的が完成する。だから完成せよ」とのお勧めです。
ところが西本願寺門主は、自著『朝には紅顔ありて』の中で、
「人間はなぜ生きるのか。ひと言で答えられるような答えは見つからない」と言い、
五木氏も、以前発刊した『人生の目的』の中で、
「人生の目的などというものはない、と思う」と書いています。
祖師を敬慕すると言いながら、「平生業成」のみ教えに真っ向から反する両者の腹底は、ピッタリ一致しているようです。
作家である五木氏の放言は今更ながらですが、残念なのは、西本願寺の門主さんも仰天発言の連発です。その一部を引用してみましょう。
「『他力』は、教義として厳密に言えば、浄土往生するための阿弥陀様の働きなのですが、どこか科学の公式のように冷たいというか、抽象的なのですね。教義ばかりではありがたくないし、我々の生活と関係なくなってしまう」
「今や教義を説くだけでは教えは伝わらないと思います」
「親鸞聖人がこうおっしゃったとか、教えはこうだ、というだけでは不十分だと思います」
これが親鸞聖人のみ教えを伝えるべき本願寺のトップの言なのだから悲しくなります。さらにこう締めくくっています。
「2011年に親鸞聖人の750回大遠忌を迎えますが、教えを聞いた私が、どういう生き方をしているのかを発表しないことには、法要の意味は十分ではない。要するに自分の答えですね。親鸞聖人に代わって、自分で考えてみてください」――。
「何事も何事も、親鸞聖人のなされたとおりに」と無我に相承された蓮如上人の姿勢といかに違うことでしょうか。親鸞学徒なら慨嘆せずにおれません。
「ああ本願寺は、親鸞学徒の集まりではないのだな」と。
真宗衰退の根本原因
親鸞学徒とは、どんな人をいうのでしょうか。
「親鸞聖人のみ教えを、正確に、一人でも多くの人にお伝えする人を親鸞学徒という。(中略)
この親鸞学徒のただ一つの使命を、踏み外さずに実行していく限り、親鸞学徒の未来は限りなく広がっていくであろう。
親鸞学徒の鑑というべき大先達は、蓮如上人や覚如上人である。
蓮如上人は、あれだけ多くの御文章で教えられていることは、常に親鸞聖人のみ教え以外には説かれていない。覚如上人もしかり。両上人とも、ご自身のことは全く書かれなかった。(中略)
両上人とも、ひたすら親鸞聖人のみ教えの徹底にのみ、力を尽くされていることが分かる。
蓮如上人は、それによって日本全国に聖人の教えを弘宣することができたのだ。常に親鸞聖人のお言葉を提示して、懇切丁寧に説き明かされている。それでこそ、日本中に浄土真宗が浸透されていったのである。
だが明治以降、急速に浄土真宗は廃れていった。この真宗の危機に敢然と立ち上がった人は、今日まで一人や二人ではなかった。その中には可なりの人もあったが、結果はみな、線香花火で終わっている。現今はすでに跡形もない。(中略)
今にして静かに、それらに共通していたことを考えれば、自身のことばかりが語られて、聖人の教えの徹底がおろそかであったことに気がつく。
それらが、後日痕跡もなくなった根本原因は、蓮如上人や覚如上人の布教精神に反し、親鸞聖人のお言葉をもって、教えを徹底しなかったところにある。真の親鸞学徒ではなかったからにほかならない。(中略)
我々は、蓮如上人や覚如上人を鑑とする真の親鸞学徒でなければならない。かかる自覚を、我々は一刻として忘れてはならない。
『親鸞聖人はここにこうおっしゃっている』と、常に聖人のお言葉を、まず示す。親鸞聖人のみ教え一つを伝えられた、蓮如上人のごとく、覚如上人のごとく。(中略)
親鸞聖人のお言葉は、それだけ尊く、重く、深く、類なきお力があるのだ。
弥陀の直説だからである。
親鸞聖人のお言葉を提示して、その正しい御心を徹底していく。浄土真宗と、全人類の輝ける未来は、この一点にかかっているのである」
(『正本堂落慶記念グラフ』より)
二千畳に満ちる法悦
親鸞聖人の教えをお伝えすれば、必ずそこに法悦があり、人の輪が生まれます。事実、2000畳の法城は、親鸞聖人の教え一つを聞きたい人々であふれています。
「『正信偈』の意味を初めて知りました」
「親鸞聖人のお言葉の意味が聞けて感動です」
親鸞会の正本堂に参集した人々の、これが歓喜の声なのです。
それなのに
「教えはこうだ、というだけでは不十分」
「親鸞聖人に代わって自分で考えよ」
と本願寺さんは言いますが、果たして親鸞さまの教えが十分伝えられてのことなのでしょうか。
悲しいことです。
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