安芸門徒??空き門徒?≠ノなるな
平成18年10月1日 広島市西区の真宗学寮講堂でシンポジウム「安芸門徒の百年と真宗のこれから」が開かれた。
◆世事と仏事の混同
「今や『がら空き』の『空き門徒』」と指摘したのは、『安芸門徒』の著者の水原氏。
大谷光真門主が「3%教団」と嘆いた東京・首都圏などに比べれば広島・安芸地方の門徒数は圧倒的に多いが、「量」から「質」へと視点を転じた場合、現在の「安芸門徒」はかつての土徳を維持しえているのか。
水原氏は「世事を仏事と混同している門徒がほとんど」と仏事の形骸化を懸念し「損得などの人間の感覚が生活の物差しになっている。『如来の物差し』の正当な市民権を回復することが大切だ」と述べた。
仏事の形骸化は教学の観念化と表裏一体の問題でもある。
(中外日報 平成18年10月7日号より)
広島県は、以前から安芸門徒と言われて、仏法を尊ぶ熱心な門徒が多くいる土地でした。現在でも、真宗の割合は多いはずです。
かつては、生活の中に、仏法が根づき、寺ではよく法座が開かれて多くの門徒が集まっていました。それが今では寺に行けば、中はがら空き。これでは??空き門徒?≠ニ言われても仕方がありません。
寺の役目といえば、葬式や法事、墓番などと思われ、とても親鸞聖人の教えを伝えるところと思っている人はないでしょう。
戦争を契機に、かつての安芸門徒はいなくなってしまった。世俗のことばかりと水原氏も指摘しているとおりです。がら空きの本堂に、再び人が集うことがあるのでしょうか。現状ではむずかしいと言わざるをえません。
肝心な教えが説かれていないのですから。
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