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抱える問題と変革への提言
 

本願寺門主の本を「検証」する(6)

■ある僧侶
 「これで救われた」と言うのは間違いだ。


■親鸞学徒
 「永久の闇より救われた」とある『真宗宗歌』をご存じないのですか?。


「救われた」というのが間違いなら、「救われた」と、至るところに言われている、親鸞聖人が間違いになります。


 主著『教行信証』に、


「噫、弘誓の強縁は多生にも値いがたく、

 真実の浄信は億劫にも獲がたし。

  遇行信を獲ば遠く宿縁を慶べ」


とあります。


「行信を獲た」とは、「救われた」ということですよ。


「大悲の願船に乗じて、

  光明の広海に浮びぬれば、

   至徳の風静に、

    衆禍の波転ず」ともあります。


大悲の願船に乗じた」とおっしゃっているのも、


救われた」ということです。


「慶しきかな。

  心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す。

   深く如来の矜哀を知りて、良に師教の恩厚を仰ぐ」


とあります。


心を弘誓の仏地に樹てた」と言われているのも、

救われた」ということです。

 有名な「三願転入のご文」には、

「愚禿釈の鸞、選択の願海に転入せり」

と、「親鸞は、このようにして救われた」と疑いようのないように、言われているではありませんか。


 もし、「救われた」ということがなければ、

「永久のやみよりすくわれし
 身の幸何にくらぶべき」

の『真宗宗歌』も、歌えなくなりますよ。


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目次
本願寺門主の本を「検証」する
なぜ聖人のお言葉がないのか
人生の目的成就の宣言
聖人90年のお叫び
信楽まことにときいたり
「この世で救われた」というのは間違いか
人生の目的は弥陀に救われること
 
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