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抱える問題と変革への提言
 

西本願寺門主の本を「検証」する(4)

聖人九十年のお叫び
「大悲の願船に乗ってくれよ」


「人はなぜ生きるのか」

「答えは見つからない」

という「本願寺の教え」は、果たして親鸞聖人の教えかどうか。『教行信証』のお言葉を挙げて、3回にわたり、その誤りを指摘してきた。

 さらに親鸞聖人には、こんな有名なお言葉もあります。


「大悲の願船に乗じて、
 光明の広海に浮びぬれば、
  至徳の風静に、衆禍の波転ず」


大悲の願船」とは、弥陀のお約束のことです。

 苦しみの波の絶えぬ人生の海であえぐ人々を、「必ず救う」という弥陀の誓いを船に例えて、「大悲の願船」と言われているのです。
 その船に「乗じて」とあるのは、弥陀のお約束どおりに親鸞、苦しみの人生から喜びの人生に救われた、とおっしゃっているのです。

 弥陀に救われたら、どうなったのかについては、

光明の広海に浮びぬれば
と言われています。

 これは、暗い人生が明るい人生に、不自由な人生が、何も障りにならぬ広い人生に生まれ変わったということです。
 暗い人生とは、同じことの繰り返しで、何のために生まれてきたのやら分からず、生命の歓喜のない惰性の人生のことです。

 世の中様変わりし、テレビは各部屋に、車やケータイ電話も各自が持ち、冷暖房完備、ボタン一つで風呂が沸き、ダイエットがブームになる飽食の時代になりましたが、果たして人間に生まれた生命の歓喜はあるでしょうか。
 週休二日制になったが、「何もすることがない」と親に世話を焼かせる小学生。
「頑張っても疲れるだけ。好きなものを食べてる時と、寝てる時がいちばん幸せかな」
と言う若者。

 楽しみに仕事に耐えた日曜日も、翌日からの仕事のためにゴロゴロ寝ていて粗大ゴミ扱いされるサラリーマン。医学の進歩で、世界一の長寿国になったが、「長生きすれば恥多し」で「楽に死ねるなら、早く死にたい」とこぼしている高齢者。

「人生は、食て寝て起きて、クソたれて、子は親となる、子は親となる」

と一休の言うとおり、ただ生きるために生きて、

「世の中の、娘が嫁と花咲いて、カカアとしぼんで、婆と散りゆく」

と墓場に向かって行進している者ばかり。昔も今も変わらぬ人間の裸形ではないでしょうか。
 気晴らしがなければ、とても生きてはいられぬと、酒、パチンコ、競馬、テレビゲーム、スポーツ、趣味などで、一時でも紛らわそうとしますが、"生まれてきてよかった"という生命の躍動などとは程遠い。

 養豚場を経営する知人がいる。ブタが病気にならぬように、豚舎の洗浄・消毒を入念にし、温度、換気、糞尿の処理に日々気を配っている。コンピューター制御で、えさは自動的にザーと流れ出る。それだけを待ち構えているブタは夢中でむさぼり食らう。
 狭い豚舎のブタには、寝ることと食らうことしか楽しみがない。早く成長するものほど早く食肉処理場に送られる。

 そんな仕事に打ち込んでいる知人が、ある時ふと語った言葉が忘れられません。

「彼らのことを見ていると、たまらなく哀れに思うことがある。殺されるために生きているのだからなぁ。あいつらは死を待っているだけなんだ」

 そして寂しそうにこうも言う。

「だけどなぁ。オレもあいつらとどこが違うのだろうかと、ふと思うんだ。毎日、食て、寝て、起きるのは同じだが、養豚にクタクタになるまで働くだけ、彼らのほうがマシなのではなかろうか。働かなくてもよいのだからなぁ。結局、お互い死ぬのを待ってるのだ」

 何のために生きるのか。最も大事なことをだれも知らない。生きるために生きる人生、死を待つだけの人間といわれても認めざるをえないのではないでしょうか。
 では、どうすれば心から生きる喜びの人生が送れるのか。それこそが、すべての人が必死に求めていることなのです。

 万人のその願いに親鸞聖人は、ここにそんな人生が送れる世界があるぞと、自己の体験を通して、"大悲の願船に乗るために生きるのだ"と叫ばずにおれなかったのです。
 生きる目的は、死ぬまで探し続けなければならぬものと皆思っている。とんでもない。親鸞聖人の教えを知れば、明白に知らされます。

 では、浮かび上がられた光明の広海とは、どんな世界であったのでしょう。

 その世界を聖人は、「至徳の風静に、衆禍の波転ず」と言われています。

至徳の風静に」とは、一息一息が満足し、順風に帆を揚げる航海のように静かで愉快な人生になるということです。

衆禍の波転ず」とは、いろいろの不幸や災難、禍いはやってくるが、阿弥陀如来の不思議なお力で、それらの一切が幸せ喜ぶもとと転じ変わるのだ、と言われているのです。

 だから、弥陀に救い摂られれば、順境でよし、逆境でよしの人生に大転換するのです。
 まさしくこれは聖人の、生きる目的を達成された感動に満ちた体験の告白ではありませんか。
 ならばこそ、「すべての人々よ、早く親鸞とともに、この大悲の願船に乗ってくれよ」と90年の生涯、叫び続けていかれたのです。

 聖人のこのようなお言葉を本願寺は、ご存じないのでしょうか。聖人の教えを広めるために書いた本に、このような聖人のお言葉が全く出ていないのはどうしたことでしょう。
 それとも、これは親鸞さまのようなお方だけのこととでも思っているのでしょうか。不審はつのるばかりです。

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目次
本願寺門主の本を「検証」する
なぜ聖人のお言葉がないのか
人生の目的成就の宣言
聖人90年のお叫び
信楽まことにときいたり
「この世で救われた」というのは間違いか
人生の目的は弥陀に救われること
 
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