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抱える問題と変革への提言
 

西本願寺門主の本を「検証」する(2)


なぜ聖人のお言葉がないのか
  不可解な「本願寺の教え」


 本願寺の門主の出版した「朝には紅顔ありて」には、「人は何のために生まれ、生きているのか」の「答えは見つからない」と書いています。

 では親鸞聖人の教えはどうなのでしょうか。



「難思の弘誓は難度海を度する大船」



と『教行信証』の冒頭には教えられています。
 これは、
「弥陀の誓願は、苦しみ悩みの人生を、明るく楽しく渡す大船である。この大船に乗って、"よくぞ人間に生まれたものぞ"と生命の大歓喜を得ることこそが、生きる目的である。どんなに苦しくとも、目的果たすまでは生き抜きなさいよ」

ということですが、本願寺は、こんな親鸞聖人のお言葉を知らないのだろうかと、先に指摘しました。



「そんな意味ではない」と言うのならば、どんなことが言われているのか明らかにするのが、本願寺の責務でしょう。

 しかもこのお言葉に続いて聖人は、

「無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり」



と言われています。



「無碍の光明」とは、無上仏といわれる阿弥陀如来の、何ものも妨げることのできないお力のことです。

「この無碍の弥陀のお力は、すべての人の苦悩の根元である無明の闇を破って、"人間に生まれてよかった"と大慶喜させる、絶対の幸福にする唯一の太陽である」
と言われているお言葉です。



 親鸞聖人が苦悩の根元と断言される「無明の闇」とは、「死んだらどうなるか分からない、死後に暗い心」です。

 どうして「死後の暗い心」が苦悩の根元なのか。

 それは、100パーセント間違いのない未来が暗いと現在が暗くなり、苦しくなるからです。


 大学時代、2階に間借りしていた知人の苦労話を聞きました。

 在学中の8年間、その下宿を変わらなかったのは、学校から近く、交通の便もよいし、閑静なのも気に入っていたからです。

 しかも、一階に住む大家さんはとても親切な人だったからだといいます。
 ところが、ただ一つだけ都合の悪いことがあって、そのために何度変わろうかと思ったかもしれない、と彼は言いました。

 それは夜、一階のトイレへ行くには、どうしてもご夫婦の寝室を通らねばならない家の構造になっていたからです。
 大家のご夫婦は明るく、「足元のふすまを開けておくから、いつでも気軽に通ってください」と言われてはいましたが、何とも夜のトイレは困ってしまったといいます。

 そこで彼は、「出さんようにするには、入れんようにするしかない」と、午後は一切、水分を取らないようにしたというのです。

 元来水が大好きな知人も、8年間、そんな我慢をせざるをえなかったと笑っていました。
 安心して、心ゆくまで水を飲むには、いつでもトイレに行ける状態でなければなりません。
 夜のトイレが使用できないとすると、昼間から安心して水を飲むことはできないのです。

 3日後の大事な試験が、学生の今の心を暗くします。将来を左右する大学受験や、会社面接の前などは、だれでも不安になるのも同じです。
 5日後に大手術を控えた患者に、「今日だけでも、温泉でカラオケ歌って、楽しくやろうじゃないか」と言ってもムリでしょう。

 未来が暗いと現在が暗くなります。
 墜落を知った飛行機の乗客を考えればよく分かります。どんな食事もおいしくないし、コメディー映画も面白くなくなります。快適な旅どころではありません。


 昭和60年の日航機墜落事故は、墜死に近づく乗客の心境を生々しく伝えました。
 現場から発見された若い女性の走り書きには、

〈恐恐恐、死にたくない〉。

 生存者の一人は、機内の様子をこう語っています。



(やがて急降下が始まると) 怖いです。怖かったです。思いださせないでください、もう。思いだしたくない恐怖です。
 まっすぐ落ちていきました。
 窓なんか、とても見る余裕はありません〉
(吉岡忍著『墜落の夏』より抜粋)


 乗客の苦悩の元はこの場合、やがて起きる墜落ですが、墜死だけが恐怖なのではありません。悲劇に近づくフライトそのものが、地獄なのです。
 確実な未来が暗いと現在が暗くなります。現在が暗いのは、未来が暗いからです。
 死後の不安と現在の不安は、切り離せないものであることがお分かりでしょう。
 後生暗いままで明るい現在を築こうとしても、できる道理がないのです。
 確実な未来の死後の明らかでない者は、真っ暗がりの中を突っ走っているようなものです。何を手に入れてもつかの間で、心からの安心も満足もなく、火宅のような人生にならざるをえません。

 ですから、100パーセント確実な未来である「死後の暗い心」を苦悩の根元と断定し、これを破って無尽の法悦を得ることこそが、人生の目的であると聖人は断言されているのです。
 無上仏の阿弥陀如来は、人生を苦に染める元凶は、この死後の暗い心(無明の闇)と見抜かれ、

「その死後の暗い無明の闇を破り、"必ず極楽浄土へ往ける"という大安心・大満足の身にしてみせる」

と誓われています。弥陀の誓願ほど素晴らしいお約束はないと、親鸞聖人が絶讃される理由です。
 苦悩の根元を断ち切る弥陀のお力を、「無明の闇を破する慧日」と聖人は喝破され、弥陀のお力によって無明の闇がなくなれば、暗く苦しい人生の海が、光明輝く広い海の人生に転じ変わり、

"ああ、人間に生まれてよかった"と生命の大歓喜の身にさせていただけますから、親鸞聖人は弥陀の救いを、「難度海を度する大船」に例えられているのです。

「この大船に乗り、輝く未来永遠の幸福になることこそが、生きる目的である。それが現在に完成できるから、早く達成しなさいよ」
と、生涯叫び続けられたのが親鸞聖人ではありませんでしたか。

 だから親鸞聖人の教えは、平生に生きる目的が完成するから「平生に業事成弁する」「平生業成」といわれ、浄土真宗の一枚看板となっているのです。

 それなのに本願寺は、その一枚看板を無視して、
「なぜ生きるの答えはない。それでいいんだ、それが素晴らしいのだ」
と、親鸞聖人の教えと逆のことを公言してはばからないでいます。

 そういえば、本願寺の門主の書いた本なのに、祖師親鸞聖人のお言葉が、一言も出ていないという不可解な意味も、分かるような気がします。

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目次
本願寺門主の本を「検証」する
なぜ聖人のお言葉がないのか
人生の目的成就の宣言
聖人90年のお叫び
信楽まことにときいたり
「この世で救われた」というのは間違いか
人生の目的は弥陀に救われること
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