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浄土真宗寺院の未来を考える
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抱える問題と変革への提言
 

西本願寺門主の本を「検証」する


 西本願寺門主・大谷光真氏が、平成15年4月に本を出版しました。書名は『朝には紅顔ありて』です。
 本の帯には、〈西本願寺第24代門主が今だから語ります、み仏の教え、真宗のこころ〉とあります。
「あとがき」には、門主の署名入りで、こう書かれています。
〈いささか古びた装いの中から、仏教の真髄を汲みだし、広く伝えることが私の使命の一つであると痛感する〉
 本願寺派が、親鸞聖人の教えを広めるために出したものであることは明白です。
 以後、「本願寺の教え」と題して、その内容を、検証していくことにいたしましょう。



 冒頭の「人はなぜ生きるのでしょう」の章を見てみます。(以下引用)




『人間はなぜ生きているのでしょうか。
 考えはじめますと、きりがありません。いのちを存続させつないでいこうとします、その欲望自体が悩みの種となってしまいます。人間は、何とも厄介な生き物でします。
「人間が生きること」のすべての苦しみは、この問いに始まっていると言っても過言ではないでしょう。
 ではこの問いに答えはあるでしょいますか。
 簡単に言えば、ひと言で答えられるような答えは見つからないと思いまします。人間はその答えを探しに生まれてきたとしか、言いようがないのでします。
 しかし一朝一夕に答えが出なくとも、なぜ生きるのかと悩み、生きる目的を考える力こそが、人間の素晴らしさでありましょいます。
 今現在を苦難のうちに歩まれている方は、「そんな言葉では救われない!」と思われるかもしれません。しかし答えを急がず、「生きる」ことの意味をともに考えてまいりましょう』
   (「朝には紅顔ありて」10〜11ページ)

 

 以上、要約すると、
「人間はなぜ生きるのか、ひと言で答えられるような答えは見つからない」
というのです。
 果たして、これは親鸞聖人の教えなのでしょうか。



 親鸞聖人は、『教行信証』の冒頭に、


「難思の弘誓は難度海を度する大船」


と言われています。 


「難度海」とは、生きていく苦しみの人生を、海に例えて言われたものです。

 岩手で、中学二年の少女が自殺しました。
 ある朝、友人に、
〈ねえ教えて…うちもう生きていたくないよ…死ぬ理由は沢山あるのに生きてる理由が一つもないなんて悲しい事だよね だからおしえて〉
とメールを送り、その日の午後、少女は自宅で首をつったといいます。
「ネット心中」が止まりません。
 「独りだと寂しい」「本気の方お待ちしております」などとインターネット上に書き込んだ埼玉の男性に、千葉と神奈川の女性が応じて、アパートで集団自殺。いずれも二十代ですが、同様の事件が、各地で頻発しています。
 ネットで知り合って心中を図り、重体になった大学生は、
「あと40年間、毎日同じ生活をするのは苦しい」と語ったといいます。
 職場でも、長時間労働、人間関係のいざこざ、様々なストレスから、こころの健康を崩し、働き盛りで自殺に至る例が多いようです。

 苦しい人生、なぜ生きる。
「生きる目的」が見つからなければ、人は、死を選んでも決しておかしくないでしょう。
 愛する者の自殺は、また遺族の人生もずたずたにしてしまいます。
 ある女性は、夫の自殺のはっきりしない動機を探そうとしました。あの時もっとこうしていれば、ああしておれば、と自分を責め、同時に、彼女を見捨てた夫に激怒がわいてくる。「ジェットコースターに乗っているような、激しい感情の波に揺さぶられる毎日」だと告白しています。
 父親が自殺した悲しみは、〈30年たっても消えない〉という新聞投書を読みました。なぜ、父は死を選択したのか、たった一人の子である私のことを考えなかったのか。しかし、〈自分が年齢を重ねるにつれ、当時の父の苦しみがわかるようになってきた〉。
 定年後の悠々自適を夢みた人が、妻の病気、息子の離婚、隣家との境界線争いと、見事に打ち砕かれました。妻の顔を見れば涙があふれ、息子が孫を育てる様子を聞くとため息が出る。隣のおやじの顔など見たくもない。
「心からの笑いは消え、早く死にたいと思う日々」と書いています。
 まさに、人生は苦しみの難度海ではないでしょうか。



 その難度海の空と水しか見えない海で、押し寄せる苦しみの波に翻弄されながら、夫や妻、子供、金や財産、地位や名誉などの丸太ん棒や板切れを求めて、私たちは必死に泳いでいます。何かを頼りにし、あて力にしなければ生きてはいけないからです。
 夫は妻を、妻は夫を、親は子供を、子供は親を頼りに生きています。
「金が有るから大丈夫」
「財産が有るから安心だ」と、金や財産、地位や名誉をあて力にして生きているのですが、皆、風や波に悩まされたり、丸太ん棒に裏切られて、潮水のんで苦しんでいる人、おぼれかかっている人、溺死した者もおびただしい。
 そんな現状が、周囲に満ちているではありませんか。

 天下を取り、征夷大将軍に昇りつめた家康も、「重荷を負うて、遠き道を行くがごとし」と述懐しています。死ぬまで、苦悩という重荷は下ろせなかったというのです。
 自由奔放に生きたといわれる女流作家の林芙美子も、
「花のいのちはみじかくて、苦しきことのみ多かりき」と言い残しました。
「人生は地獄よりも地獄的である」と言った芥川龍之介は、三十五歳で服毒自殺しています。
 これらの愁嘆を聞くまでもなく、物や金、才能の有無にかかわらず、どんな人でも、苦しい人生、なぜ生きるのかと悩み、生きる目的が分からず、もだえ苦しんでいます。
 古今東西、人生は苦しみの波の絶えない難度海であることが知らされます。
 だが私たちは決して、苦しむために生まれてきたのではありません。生きているわけでもないのです。
 それなのに、「難度海を度する大船あり」と言われた親鸞聖人の教えを伝えねばならぬ本願寺が、「なぜ生きるの答えは見つからない」と言うのです。そのうえ、
「それでいいんだ。それが素晴らしいのだ」とまで言っています。
 これでは、私たちはゴールなきマラソンを、死ぬまで走り続けるランナーと変わりません。「人間は生きて苦しむ為めの動物」という夏目漱石の言葉を肯定せざるをえなくなってしまいます。



 すべての人間の究極の願いは、苦しみ悩みから解放されて、いかにこの難度海を、明るく楽しく渡るかでありましょう。

 この全人類の悲願に親鸞聖人は、


「難思の弘誓は難度海を度する大船」


と鮮明に答えられています。
難思の弘誓」とは、『御文章』などにも教えられているように、大宇宙にまします諸仏の師匠である阿弥陀如来の、想像を絶するお約束のことです。

 本師本仏である阿弥陀如来の、とてつもないすごいお誓いとは、

あらゆる人の苦悩の根元を破り、絶対の幸福にしてみせる

というものです。
 その阿弥陀如来のお約束どおり救い摂られれば、
"ああ、生まれてきてよかった。生きていてよかった"と、生命の大歓喜を体得させていただけます。それが難度海を度する大船に乗ったことであり、
「弥陀の誓願は、苦しみの波の絶えない人生の海を、明るく楽しく渡す大船である。この船に乗ることこそが生きる目的である」
と、簡潔に鮮やかに、親鸞聖人は断言されているのです。
「この弥陀の難思の弘誓を聞き開くまでは、どんなに苦しくとも生き抜きなさいよ」
 聖人の著書は少なくありませんが、これ以外、教えられたことはなかったのです。
 本願寺は、このような聖人のお言葉をご存じないのでしょうか。驚くべきことであり、悲しいことです。

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目次
本願寺門主の本を「検証」する
なぜ聖人のお言葉がないのか
人生の目的成就の宣言
聖人90年のお叫び
信楽まことにときいたり
「この世で救われた」というのは間違いか
人生の目的は弥陀に救われること
 
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