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浄土真宗寺院の未来を考える
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抱える問題と変革への提言
 

西本願寺門主にインタビュー(中央公論)

はじめに

中央公論 2006年4月号に 浄土真宗本願寺派(西本願寺)門主 大谷光真氏のインタビューが掲載されました。



本社創業120周年記念企画
浄土真宗本願寺派門主 大谷光真インタビュー

人間が壊れてしまった時代に
 伝えたい親鸞聖人の教え

何のために生きているのかが、分からなくなってしまった今の日本社会にこそ、仏教は語りかけるべき多くのことをもっている。


 とても、魅力的な言葉がならんでいます。
「伝えたい親鸞聖人の教え」
「今の日本社会にこそ、仏教は語りかけるべき多くの事をもっている」

その聖人の教えについて、インタビュー記事にそって、門主大谷光真氏から聞いてみたいと思います。


「何のために生きているのか」

 背景には、個人も世の中も、人間が何のために生きているか、何をしたらいいのか、何をしてはいけないのか、ということがわからなくなってきている現実があると思います。


 最近いろいろな、社会問題が起きています。
 ネットを介した集団自殺も後を絶ちません、不登校や、ひきこもり、ニート問題。少年犯罪や、凶悪犯罪も増えています。
 こういう問題の背景には、大谷氏も、「何のために生きているのか」が分からないからだとしています。



 私はいま、日本の一番の問題は、生きがいの喪失、もう少し深く言えば、人間は何のために生きているのか、ということが分からなくなっている点だと考えています。ニヒリズムと言うべきでしょうか。それを意識する、しないにかかわらず、非常に大きな問題ではないかと思います。


 そのとても大きな問題について
人間が壊れてしまった時代に 伝えたい親鸞聖人の教え
とあるとおり、それに答えるのが、親鸞聖人の教えであり、仏教です。
 当然次には、その聖人の教えが語られるものと期待しました。
 ところが、大谷氏は、「何のために生きているのか」という問題について、以下のように答えています。

「何のために生きているのか」ということは、理屈では簡単に解決できません。
 私は、人間は動物、植物を含めた大きな命の存在を感じることが必要だと考えています。お互いに支え合って生きていこうという思いが重要なのです。


 理屈ではなく、親鸞聖人のお言葉をお聞きしたかったのに、何という肩スカシ。
 その答えは、「大きな命の存在を感じることが必要」と、「お互いに支え合って生きていこうという思いが重要」とのことでした。

 人間は一人では生きていけません。苦しいことも人生にはたくさんあります。お互い支え合って生きていくことが大切だということに関しては誰も異論はないでしょう。
 しかし、ここで問題になっているのは、「苦しい人生、支え合って、生きる」のは「何のためか」という事ではないでしょうか?
 
 人はなんのために生まれ、生きているのだろうか。なぜ苦しくても自殺してはならぬのか。「人生の目的」は何か。
 浄土真宗を開かれた、親鸞聖人は、人生の目的、なぜ生きるか、について、このようにハッキリ答えておられるのです。

「苦しみの波の絶えない人生の海を、明るくわたす大船がある。その船に乗り、未来永遠の幸福に生きるためである」

 それは、主著『教行信証』の冒頭に、つぎのように記されています。


「難思の弘誓は、難度海を度する大船」
          (『教行信証』)


「弥陀の誓願は、苦しみの波の絶えない人生の海を、明るく楽しくわたす大船である。この船に乗ることこそが人生の目的だ」
 人生の目的は「苦海をわたす大船に乗ること」とはどんなことか、一言でいえば、
「よくぞ人間に生まれたものぞ≠ニ生命の大歓喜を得ること」
だと教えておられます。

 その親鸞聖人の教えを説くのが、本来の寺という場所であったはずです。ところが、親鸞聖人のこのような明文を大谷氏は一つも出していません。ご存じないのでしょうか。せっかくいい問いかけをしておりながら、やはり「その答えは見つからない」ということなのでしょうか。

西本願寺の役目

 寺の役割について、大谷氏は以下のように言っています。

 お寺に来て何をするのかと問われれば、具体的なことがわかりにくいのです。お寺に参って仏様の前で手を合わせるとか、お経を読むとか、仏教の話を聞くとか、あるいは、悩みを持つ人と一緒に話し合いをして理解や体験を深めると言うことが昔から基本です。そうした信仰の基本形は今後も続くと思います。ただ、それだけでは、なかなか現代の深刻な課題と直接つながっていきません。
 ですから、何か問題提起を出来るような人たちと一緒に活動しない限り、いまのお寺は社会への働きかけという点では、誠に辛いところがあるわけです。


 現在の40代以下の人で、実際に寺に行ったことのある人は少ないのではないでしょうか?
 何をするところか分からなければ、寺へいく人もいなくなるのは当然でしょう。

 結局のところ、門主さん自身、仏法の目的がハッキリしていないようです。これでは、末寺の住職はなおさらではないでしょうか。
 かつて、寺では毎月法話(寄合)が開かれていました。その目的について、蓮如上人は次のようにいわれています。


 抑、毎月両度の寄合の由来は何の為ぞというに、更に他の事にあらず、自身の往生極楽の信心獲得の為なるが故なり。(御文章4帖12通)


 毎月二度、法話(法座)を勤める目的を教えられたお言葉です。


「法座(寄合)の目的は、食べたり飲んだり、世間話をしたりするためではないのだよ。生きている今、難度海を明るく楽しく渡す大きな船に乗り(信心獲得)、いつ死んでも浄土往生間違いない身になるためなのだ」


 私たちが仏法を聞く目的は、これ以外にないと教えておられます。

「現代の深刻な課題」と大谷氏が言っているのは、年金問題、自殺問題、社会不安などをさしているのでしょうか。
 しかし、年金問題などを解決するのが仏法を聞く目的ではありません。
 仏法が説かれる寺は、人として最も大切な問題、生死の一大事を解決するための場所なのです。
 すなわち、この世に生まれてきた目的を達成(信心獲得)するためだと、蓮如上人は教えておられるではありませんか。
 門主さんは蓮如上人のこのお言葉も、ご存じないのでしょうか。
 

仏教の目的

(死と向き合うこと)
 誰しも、生まれた以上、死すべきものとして生きているわけですから、死は受け入れるべきものです。逃げたり、ごまかしたりしないで、なんとか受け入れていくというのが、仏教の目指すところです。


「なんとか受け入れる」と言うのも、ずいぶん頼りない言い方ですね。
 人間いつかは死んでいかねばならないもの、とあきらめていくということでしょうか。
 
 親鸞聖人は、”私たちは、死をなんとか受け入れるために生きているのではない、大悲の願船に乗り(弥陀の本願に救いとられること)、浄土往生の身になることが人生の目的なのですよ”、と教えておられます。

「以前、京都市内の大学で、学生を相手に講義をしたのですが、そこで「世間から葬式仏教と批判されている」と話したら、学生の中に、「そんな言葉、初めて聞きました」という反応がありました。学生の世代だと、初めて聞く人が何人もいるのだな、と少々驚きました。
 逆に、今ではお葬式にも、お坊さんは呼ばれなくなって、影が薄くなっているのか、とも感じました。」


「死をなんとか受け入れることが、仏教の目指すところ」という大谷光真氏。
 日頃、死を考えることのない私たちが、死と対面する場が、葬式です。葬式といえば、「寺」「お坊さん」という感覚も、現代の若者にはなくなりつつあるようです。住宅事情の変化や、核家族化の結果、地元のセレモニーホールで葬式をするのも当たり前になってきました。
 業者に任せていれば、わざわざ日頃接触のないお坊さんを呼んで、意味のわからないお経を読んでもらわなくても、立派な葬式は出せると考えている人の方が、今どんどん増えているのです。

「葬式に呼ばれなくなって、影が薄くなった」とは、現在のお坊さんは、葬式以外することがないということのあらわれでしょう。 葬式や、法事以外で、お坊さんを見たことがないという人が、いまやほとんどではないでしょうか。
 生きている人に教えを説くこともなく、葬式にも呼ばれないとなったら、何のためにお坊さんは生きているのか、ということを、寺に住んでいない私も考えずにおれません。
 



覚如上人(親鸞聖人のひ孫)は


「いよいよ葬喪を一大事とすべきにあらず、もっとも停止すべし。」(改邪鈔)

とまで教えておられます。

 親鸞聖人の教えを伝える寺の目的、僧侶の使命は、葬式や法事をすることではなく、生きている今、難度海を明るく楽しく渡す大きな船に乗り(信心獲得)、いつ死んでも浄土往生間違いない身に、ご門徒の方々を導くことなのです。
 門主という立場にありながら、そしてせっかく中央公論にあれだけの紙面を費やしながら、親鸞聖人のお言葉も、蓮如上人のお言葉も一つも示せないとは。まことに残念という他はありません。
 これでは多くのご門徒の後生はどうなるのでしょうか。浄土真宗が衰退するのも当然です。

 門主はじめ、本願寺の僧侶の皆さんには、本当に心から目覚めていただきたいと願わずにおれません。


大谷光真(おおたに こうしん)
1945年京都市生まれ。東京大学文学部印度哲学科卒業、龍谷大学大学院文学研究科修士課程修了、東京大学大学院インド哲学専攻修了。60年に得度、77年に法統を継承、親鸞聖人から数えて第24代の門主に就くその後、三度にわたり、全日本仏教会会長を務める。現在、全国教誨師連盟総裁。著書に、「朝には紅顔ありて」など

 

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