親鸞会会員・体験談 寺は何も教えてくれなかった
10歳のころから寺に通い、嫁いだ先でも朝晩の勤行は欠かしませんでした、しかし60年間正信偈の意味は分かりませんでした。
最近は寺同士で連携し、門徒が亡くなると連絡を取り合い、呼ばれもしない葬儀にゾロゾロ押しかけ、自坊の門徒でもない人から「お布施」を取っているとも聞きます。
49日法要で、御名号を外さねば、法事をしないぞ。近所の手前困るだろう、と住職は迫ってきました。
朝夕1時間の読経をし、何十回も山に登り、祈祷を続けて来ましたが、教えは何も聞けませんでした。
「念仏さえ称えていれば、死んだら極楽なんておかしい」と感じ、寺には行かなくなりました。何のために生きるのか、その解答は親鸞聖人の教えにありました。
浄土真宗の本尊を名号にしたことにより、それを批難する同行も現れました。
寺の境内で、神道の音楽である雅楽が始まった時は、さすがにあきれ果ててしまいました。烏帽子をかぶった神職5、6人が、笛や太鼓の演奏を始めたのです。
「東京の築地本願寺に毎月通いましたが、後生の一大事の話がありません。次第に、「ここでは駄目だ」と思うようになりました・・」
「宗教は、みな同じじゃないのか」などをテーマに、門徒どうしが話し合うだけで、住職はほとんど沈黙という「話し合い法座」が、全国で行なわれています。でも、結局、何が正しいのか、わからないままで、困ってます。
「報恩講に、講師を呼んでください、お話が聞きたいんです」
と頼んでも、住職は、無視。しまいには、
「親鸞?どこが立派なんや。祭り上げられてるだけや」
信じがたい住職の言葉に、唖然としたのでした。
※親鸞会会員の体験談に掲載された個人名は、プライバシー保護のため仮名にさせていただいております。
「親鸞会と浄土真宗の現状」開設にあたり
このたび、「浄土真宗親鸞会と浄土真宗の現状 〜抱える問題と変革への提言〜」というサイトを開設いたしました。
私は、西本願寺の門徒の家に生まれ、育ち、寺にも通っていました。現在は、親鸞会の会員として、本当の親鸞聖人の教えを学んでいます。
浄土真宗の家に生まれた人も、そうでない人も、親鸞聖人は何を教えられた方なのか、親鸞聖人の教えが聞きたいと思っている人はたくさんおられます。(→続きを読む)
浄土真宗親鸞会リンク集
浄土真宗を憂う
法悦の泉|親鸞会会員の喜びの声
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